詰パラ関連のブログとか見てたら、俺って実は元中学校担当じゃなくて、前中学校担当なんだな。かなり驚いた。俺が担当やってたのが94〜98年だから、今の担当の方に交代してからもう8年目に入ってる。俺の5年ですら当時としては長い方だったんだが、最近は長期に亘って担当をされてる方が多いらしいな。

この担当業って最初の1年ぐらいは締切もちゃんと守り、選題や解説、解答束を読む事など楽しさの方が大きいんだが、時が経つにつれてだんだん苦の面が大きくなってくる。そして要領も判って来るから大体どれぐらいの期間があれば原稿が仕上がるかも自分で把握出来るようになってくるんで、ちょっとぐらい遅れてもなんとかなるわってな感じで、だんだん原稿締切を守れなくなってきたりする。印刷の最終時期なんかを知ってしまうともう最悪。全然原稿に手を付けず、今月の解説をまだあげてないのに来月の解答束が届くなんて事も。

ぶっちゃけ俺も末期はそんな感じだった。任期を通してちゃんとやってたのは解答と検討ぐらいなもん。俺って当時は手元に作品が届いたら自分で解いてから解答を見てた。解かずに解答を見ても大体の作品の価値は判るが、当時ぺーぺーの俺は解いた方がより判るだろうって事で必死に解いてたな。

検討の方も今みたいにコンピュータ全盛時代じゃなかったんで、盤を使って自力でやってた。97年下半期半期賞作は、当時の検討陣の中で多分一番豪腕の方の検討を通過して俺の手元に届いた作品だったが、解いた時に即採用を決めたんで、余詰で掲載しないように必死に王手を虱潰しにやってみて、数時間後に余詰を発見して潰したりとか。


そんな担当経験は自分の中ではやっぱ大きな財産だな。あれ以来、理系人間にも関わらず文章を書くの好きになったしな・・・まぁ、その結果が今のこの痛い日記なんだがwww